2)シアル酸分子種の生物学的役割に関する研究

細胞の一番外でおこる外界との接触
-免疫系細胞でのシアル酸の分子認識-


(図1シアル酸場所)

 我々の細胞は例外なく糖鎖で覆われており、糖鎖の末端はシアル酸と呼ばれる酸性の糖がしめる。(図1シアル酸場所)このため、シアル酸は細胞の分子認識に様々な形で関わる。例えば、インフルエンザウイルスは、細胞表面のシアル酸を含む糖鎖と結合することでその感染を開始し、シアル酸を切断することで感染細胞から出芽する。これは、シアル酸が細胞の一番外側に存在すること、また、マイナスのチャージをもつなどの性質による。シアル酸はノイラミン酸骨格という構造をもつ酸性糖の総称であり、じつは非常に多くの分子修飾をされる。細胞は様々な分子を認識し、それに応じた応答を行うわけであるが、多様なシアル酸修飾は複雑な分子間認識をこなすために制御されていると考えられており、我々はこのシアル酸分子を介した分子認識の機能的な意義を主に免疫系において解析している。

(図2シアル酸分子種)

 哺乳動物細胞においては、主要なシアル酸分子種には N-アセチルノイラミン酸(Neu5Ac)と酸素原子が1つ多いN-グリコリルノイラミン酸(Neu5Gc)がある。(図2シアル酸分子種)Neu5AcはNeu5Gcの生合成における前駆体であり、我々が世界にさきがけて遺伝子クローニングに成功したCMP-Neu5Ac水酸化酵素と呼ばれるモノオキシゲナーゼ反応がこれを行う。細胞表面でのNeu5Gcの発現はこの酵素により非常に興味深い制御を受けている。

(図3胚中心)

 マウスリンパ球細胞はNeu5Gcを主要なシアル酸として発現する。我々は抗原からの刺激によりB細胞を活性化することでNeu5Gcの発現が抑制されることを明らかにした。このNeu5Gcの抑制はCD22と呼ばれるB細胞活性化抑制能をもつ分子のリガンド(標的分子)の発現を低下することを明らかにした。B細胞は抗原刺激に応答して抗体産生をするが、このための活性化の場である胚中心を特異的に染色する単クローン抗体GL7が活性化リンパ球(T細胞でもこの反応は起こる)特異的なNeu5Acの発現を認識していることなどを明らかにしてきた。(図3胚中心)我々はNeu5Gcの発現を動物個体レベルで変化させた遺伝子欠損マウス、トランスジェニックマウスなどの系を用いて、シアル酸分子種の違いのもたらす免疫学的な応答を明らかにすべく研究を続けている。


(図4異種自己抗原)

 一方、ヒトはNeu5Gcの生合成酵素を欠失している。CMP-Neu5Ac水酸化酵素の遺伝子は人で欠損しているものの、現存生物でヒトと最近縁で遺伝子レベルでも98%が同じであるとされるチンパンジーやボノボでは欠損しておらず、Neu5Gcの発現はヒトとその他の動物を分ける違いであることが分かった。シアル酸は体中の細胞で発現しているため、この酵素の欠損は全身において影響を及ぼす可能性がある。ヒト免疫系から考えるとNeu5Gcは異種性の非自己抗原となるが、食事から取り込まれ自己抗原として後天的に発現するという、他に類をみない「異種自己抗原」であり、しかもNeu5Gcが抗原性をもつことで慢性の自己応答性抗原となることが報告されている。(図4異種自己抗原)ヒトで特異的に起こる異種自己抗原Neu5Gcに対する免疫応答機構を明らかにすると共に、これがヒトの炎症性疾患に対し及ぼす影響を、Neu5Gc欠損マウスを用いて研究している。この異種自己抗原応答を人為的にコントロールすることで、現在も改良が求められている、よりヒトの状態を模倣した疾患モデルマウスを構築できると考える。今後ヒトの治療を念頭に置いたマウスモデルでの実験においてNeu5Gc欠損を標準背景とすることが必要になると考えている。

さらに詳しくは以下の日本語版総説等で紹介されています。

竹松 弘
非ヒト型シアル酸 N-グリコリルノイラミン酸
生化学事典 田中啓二、石浦章一、水島昇、谷口直之、遠藤玉夫、竹縄忠臣、伊藤俊樹、花岡文雄、塩見春彦 編 (2011) in press 朝倉書店

竹松 弘、 内藤 裕子、 小堤 保則
シアル酸分子種のヒト化マウス (Cmahノックアウトマウス)
生体機能モデルと新しいリソース、リサーチツール 小幡裕一、城石俊彦、芹沢忠夫、田中啓二、米川博通 編 393-399 (2011) エル・アイ・シー

竹松 弘
Bリンパ球におけるシアル酸修飾機能解明に向けて
生化学 82 (8), 735-740 (2010) PMID: 20857688 日本生化学会

竹松 弘
B細胞抗原受容体シグナルのシアル酸脱アセチル化酵素による制御
臨床免疫アレルギー科 52 (5), 561-70 (2009) 科学評論社

内藤 裕子、 竹松 弘、 小堤 保則
B細胞の機能調節における糖鎖認識の重要性--B細胞活性化に伴う糖鎖の変化
タンパク質核酸酵素 53(12), 1630-1635,1417, (2008) 共立出版

竹松 弘、 小堤 保則
シアル酸代謝の多様性と生命機能
細胞工学 26 (6), 640-3 (2007) 秀潤社

竹松 弘、小堤保則
シアル酸修飾〜30種類にも及ぶシアル酸分子種はただの飾りか?
蛋白質核酸酵素増刊 糖鎖機能・第三の鎖 Jun;48(8 Suppl):947-51. (2003) 共立出版